わたしのこと。

人工内耳装用者の日常

わたし自身について。(わたしの障害に名前がつくまで)

わたしは1998年6月、この世に生を受けました。

わたしの障害を家族が感じ出したのは非常に早く、1か月検診の前だったそうです。

祖母の手記には、こう書いてありました。

 

おじいちゃんがオルゴール付きの小さな振り鳴らすおもちゃを買ってきました。

(略)

さっそく(わたし)ちゃんのそばに持っていって振ってあげました。 

でも(わたし)ちゃんは知らぬ顔です。それはあたり前。まだ生まれて一週間では目もはっきり見えないのです。

(略)

しかし音は生まれた時から聞こえているはずなのにどうしたのかしらと思いました。

(略)

(わたし)ちゃんは静かに動かずすやすや眠っていました。

おばあちゃんは心配でした。何度も振り子のおもちゃを耳のそばでな鳴らしてみました。

 

その後の一カ月検診の時には何もわからなかったようです。

生まれてから三カ月たった9月16日に、地元の大きい病院で脳波の検査をしたところ、 「聞こえていない」という結果が出ました。

詳しいことを調べるために保健センターへ紹介状を書いていただき、二か月後、受診しました。

その結果、分かったのは100db以上の音にしか反応がなかったということでした。

ついた診断名は、「両側高度感音難聴」でした。

 

 

わたしがこのブログを書こうと思ったわけ

はじめまして。

わたしは先天聾で、右耳に人工内耳を装用しています。現在、大学2年生で、春からは3年生です。

わたしが2歳の時に人工内耳埋め込み手術を行ってから、およそ18年間、人工内耳と付き合ってきました。その間本当にいろいろなことがありました。

 

このブログは、母や祖母のの日記など当時の資料や、わたしの記憶などを頼りに執筆していますので、間違いがあるかもしれません。(わかった時点で即座に修正します)

 

インターネットが発達して、みんながスマホやパソコンで情報収集ができる時代になりました。

わたしもネットでわたしと同年代、あるいは先輩のブログを探しました。

ですが、わたしが人工内耳の手術をした18年前は人工内耳の、いわゆる黎明期だったため、大人の発信者としては、中途失聴者が多く、そもそも情報発信者が少なかったのです。そのため、常に手探りで今までやってきました。やはり、障害を持っているということは、普通の子供よりも進学など様々な場面で困難にぶち当たることが多く、母にはたくさん助けてもらいました。本当に感謝しかありません。

ママさん視点ではなく、当事者視点のブログがあまりなかったので、これから大人になるすべての後輩たちのために、自分の備忘録のためにこのブログを書こうと思いました。

 

初めてのブログなので、至らない点が多くあるかと思いますが、これからよろしくお願いいたします。

 

ブログの題材のリクエストなども受けますので、聞きたいこと等あれば気軽に聞いてください。